臨死体験?   別世界編

みけが30歳を少し出た頃。子供が4っつか5つの頃。奇妙な経験をした。
いわゆる「臨死体験」というものだ。
その頃よく心臓が早鐘のように鳴り、脈が1分間で250回もうって気が遠くなったり(苦しいので、それに合わせて呼吸も速くなる)と、トラブルが多かった。
医者にはかかっていないので病名は(あるか、ないか知らないが)分からない。
そんな時期の事である。
どう表現していいか分からないので、そのままを順番に書いていく。
行を変えた時は少し時間?がたっていると思ってほしい。

    

存在を感じた。「私」の存在を感じた。
うまく言えないが「存在している」と感じたのだ。それだけ。
「形」は、ない。だだ純粋に「存在している」という感覚。


真っ白な世界。・・・真っ白というより・・・とてもとても明るい世界。
そして、ポカポカと(春の日差しのような)暖かい世界。とても気持ちがいい。


ふと、他の存在を感じたくなった。でも、周りには何の存在も感じない。
広い広い、この空間で・・・と思った時に「あの向こうの、更に先は、どうなっているんだろう?」
見ようと思ったが見られない。何故?何故?何故?


ふと、私は「自分が移動できる」という事「他の場所に自分が動いていく事ができる」という事を感じた。
嬉しくなった。


少しずつ上手になって、いろんな景色を見た。行きたい所に行ける。
春のような心地よい日差しの中、いろんな所をとびまわった。
でも、気がつけば、それは平坦で変化のない景色だけだった。
「とびだした所を見たい」と思った。その「とびだした所」の映像は、なんとなく記憶にあった。
「山だ。富士山だ。富士山を見たい」
もう目の前には富士山がそびえたっていた。
「この上から見たい」
私は「飛べる」事に気がついた。


上空から見た富士山は、とても美しかった。いろんな角度から満足のいくまで眺めていた。

突然「疲れた」と思った。
すると次の瞬間には「何故?疲れるハズはないのに」と思う。
「え?何故疲れないの?こんなに、あちこち動き回ったのに」自問自答が続く。


気がつけば、真っ白なほどの光の世界、春の日差しの心地よい世界の一面に、うっすらと霧のようなものが・・・
「ああ、そうか。周りは栄養があるんだった。・・・そうだ、甘露の雨が降り注いでいるんだ。いくら動き回っても、いくらでも補給できるんだ」

それからは本当に自由自在に飛び回った。
その頃になって、やっと景色は大自然へと変わった。
なんの変哲もない平坦な景色から富士山のある景色へ。そして木があり森があり、川があり海があり・・・地球の大自然へと変化していった。


ふと「何か寂しい」と感じた。「景色の中に何か足らない」と思った。何だろう?
突然、いわゆる都会の景色を思い出した。
「そこを見たい!」と思った瞬間に、あたりは、いわゆる都会の景色へと変わった。

ビル・車・看板・あらゆる店・・・でも、何か足りない。(人がいなかったが、その時は意識になかった)何だろう?
その時「プワ〜〜ン!」というクラクションのような(クラクションという観念もない)音が聞こえた。
「音だ!音がないんだ!」
気づいたとたんに都会の騒音が私を襲う。
「うるさい!」と、上空に逃げる。
「ああ、ビックリした。今度からは注意しなきゃ・・・疲れたなあ。甘露の雨を浴びに帰ろう」


途中で私は気がついた。私の望む物は、望む世界は、望む能力は、全て手に入るんだ。どんな事でも!私が望みさえすれば!
けれど、自分で望まない物、望まないことは絶対に手にする事はないのだ。
まず、気づく事。そして望む事。
そうすれば、思うがままの世界が開かれるのだ、という事に気がついた。
そして、思うがままの世界で遊び、疲れたら、甘露の雨の降る、あの場所に戻りさえすればいいのだ。
私は最高に幸せだった。
あの場所へと思いを馳せた。
次の瞬間には、あの場所に戻っているはずだった。




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