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宿泊したホテルの近くには神倉神社がある。歩いて10分ほどで参道入り口だ。そこから急な階段を登って10〜15分。大きな大きな岩がご神体の神殿に着く。新宮を一望できる最高の景色。
熊野の神は、最初、この神倉神社に降臨された。そののち、速玉大社にお移り頂いたので、速玉大社の事を「新しい宮」・・新宮と呼んだ。そてていつのまにか地名も「新宮」となった。
早起きしてお詣りされる方、朝食がすんでからお詣りされる方・・結構多かった。ニャアは足もとが見えにくいので、あの急な階段で何かあったら肝心の川下りに影響するので、部屋でおとなしくしていた。 |
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8:20少し前 ホテルを出発(新宮)
8:21 徐福公園着 |
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徐福は今から2200年ほど前、中国を統一した秦の始皇帝に仕え、その命により、東にあるという不老不死の霊薬を求めて七人の子供(だっけ?)3000人の家来(だっけ?)と共に、熊野にやってきたそうだ。
それが公園の中にあるお茶の木(写真・左)で、今では・・こうやって(写真・右)簡単に手に入れることができる!!
更に!公園内に七人の子にちなんで、池の中に北斗七星をかたどった石があり、橋を渡りながら全て「ナデナデ」すれば、不老長寿どころか金銀財宝も人徳も運を全て手に入れることができるという。 |
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誰かが「一周で10年寿命が延びるんやで」って言うから二周した。最近の占いで残りの寿命が1年・・と出たので、これで21年になったわけだ!メデタシ!メデタシ!
この公園は少し前までは何の変哲もない公園だったが、色々な団体からの援助を受けて6億6千万で整備された(だったっけ?)。そしてボランティアの方々で訪れた方々に説明をしてくださっているそうだ。
ちなみに・・このお茶・・十薬のような甘みがあり、ニャアは平気だけど、普通の方には・・「まずぅ〜!」らしい・・良薬口に苦し・・だ・・ |
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9:18 川下りのスタート地点に着く。
熊野川の水位は激しく変わる。多いときは、溢れんばかりだが、少ないとなったら歩いて渡れるくらいらしい。そのためエンジンは上の方にあげている。
昔は川を下ったら、四つん這いになってロープで引っ張り上げたそうだ。 |
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ニャアの乗った
「田長」
写真提供
:サイコロさん
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船にはそれぞれ名前がついていて、」ニャアは「田長」。他には「速玉」とか・・ひとつの船には三人ずつの席が4列ある。12人ずつ乗る。この日は人が多かったので、他からも借りて出しているそうだ。ツアーの我々の最後の組は小さめの個人の船で、別の観光客も一人加わっての出航となった。
私は一番後の席の左端に陣取り、椅子の後の「背当て」の上に座って、ひときわ高くし・・ご満悦!
9:42 出発!!・・この船が当時を再現したものだそうだ。エンジンはなかったが・・ |
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この日はカヌーも多く、あちこちで、こういう姿が見られた。気持ちよさそう!
ニャアはカヌーは動けないから怖いけど、大きなゴムボートでの少々急な川下りはしてみたいっ!え?そうだよ。水はキライだ!でも、救命胴衣をつけたら落ちても浮くんだろ?・・なら何の問題もないっ! |
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9:50 布引の滝
写真では分からないけど(大きくすると分かるけど・・しない・・重くなるから・・)山と山の境に流れている。
「熊野は日本有数の豪雨地帯です。雨が降ればもっと激しく流れます。そうなると○○の滝といいます。今は布くらいですが、逆に雨が降らないと絹糸の滝になります。水の量で名前が変わります」面白い説明に、これからの船旅が余計楽しくなりそう! |
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9:54 さっき船着き場へ向かう時に、バスの中から見た滝。ここは結構激しく流れている。 |
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9:55
昔の道。以前はここを通った。
以前と言っても、ついこの間・・
昭和30年代・・って言ってたと・・
違うかな?
ピンクの矢印は
今も残っている手すり。 |
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←黄色の印が昔の道。
その上に国道(白い道)ができ、手すりはほとんどが撤去されたが、ここは険しいのでそのまま残っているそうだ。
昔は増水すればとおれなかっただろうし、流された人も多いんじゃあないかと思えた。 |
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「本宮から、こうして船で下ったのは金のある人達です。主に貴族。金のない庶民は、この川沿いの道を歩かないといけません。皆さんは、こうして船で下っておられますので・・貴族というわけです」
(この絵の時の説明かどうかは自信がないです) |
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10:01 試し岩・・だったかな?・・
たしか・・もう少しコッチの川の中にも大きな岩があったと思う。行をして人を越えるほどのチカラがついたかどうかを、岩から岩へ飛び移って試したんだそうだ・・誰か成功した人いるのかなあ?・・ |
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10:04
行商などの女性 (熊野比丘尼・・?・・だっけ?)によって熊野の神は広く全国に知れることとなった。この人達でさえ転んでしまうほどの険しい場所・・(写真を撮れなかった)を・・眺めた・・ |
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当時は、どこの山でも女人禁制だった。ところが、熊野の神だけは、老若男女・健康な人・病気の人・・全てを問わず受け容れて下され、詣でることによって大きな御利益を頂ける・・と・・まあ〜いわば宣伝して歩いた比丘尼によって、全国津々浦々まで熊野の神は知れ渡ることとなった。 |
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10:08 鬼の骨(左手にある)
昔、悪いことをしていた鬼を退治して食べちゃった・・で・・骨だけ残っちゃった・・ってワケ〜!・・さあ〜右手には、そのとき使った、包丁やまな板もあるよ〜! |
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10:12 バスから遠くに小さく見えていた滝だ!
バスから見ていたときに「吹きだしている!」っていうカンジだったが、同じく激しく流れている! |
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10:16 昼嶋・・岩の島だが、上陸できる!
最初見た時は「ほんまに上陸できるんかいな・・」と思ったが、回り込むと素晴らしく広くなっていて・・ご覧の通り!!
ぞろぞろ・・蟻の昼嶋上陸・・上は思ったよりも広い!バス一台分の人数+船の方々10人でも大丈夫! |
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船着き場に・・
「せこがに」???
だったっけ?
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紀伊半島は、植樹し、材木を切り出す事が盛んだった。切り出した材木は自分の名前を刻印して川に流し下流へと運ぶ。険しい山の中を運ぶことは無理だからだ・・ニャアはイカダに乗りたい!!・・
また一方では日本有数の豪雨地帯。降り出したら止まらない。それに台風の直撃もしょっちゅう。するとこの川は溢れるほどの濁流と化す・・当然・・切り出した材木が「運ぶ」状態ではなく「流されて」しまう。
・・頭は生きたウチに使え・・とは、亡くなった父の口癖だったなあ・・この「流された」材木を回収して儲けることを思いついた方々がいたんだそうだ・・
この昼嶋の少しだけ下流にコンクリートの出っ張りがある。そこいらへロープを張るなどして材木の流れを変え、この昼嶋と対岸で囲まれたようになっている狭い方に誘導。そう・・こんな風になるそうだ!
材木には名前が刻印してあるので・・「これ〜あんたんとこのやろ〜?」・・ってさ!すごいねえ!!
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10:28 さて・・そろそろ下山・・上から見ると結構険しい。でも岩が滑らないので下りやすかった。
ニャアは若い頃、階段から滑り落ちて右肩を脱臼して以来「滑る」イメージの岩には反射的に身体がすくんでしまう。その時の傷みを身体が忘れていないのだ。でも色々な山を登るうちに少しは慣れてきたようだ。もともとは高いところは好きだったからなあ・・ |
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「今度は前後入れ替わって下さい」と言ってくれていたので・・
ニャアは乗船と同時に自己申告!・・手を挙げて・・
「さっき一番後だったから今度は一番前に座りたいですっ!」
一番前をゲット!!・・声が良く聞こえるし前には何もないので気持ちいい〜!
「でもここからはあまり説明がないんですよ〜」
・・な・・な・・なんですとぉっ!!・・やっぱり最初に一番前がええようで・・ |
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10:32に昼嶋を出る。
10:38 バスの中からも見ていた切り立った崖・・隣の方と「切り出した跡?」「でも、あまりにもキレイに切り立ってるなあ」・・などなど・・話していたのだが・・切り出したんだそうだ。スパっと切れているのは、この辺り一帯の柱状節理のためなんだそうだ。 |
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10:54 ウナギとってるらしい。
・・ん?・・ということは・・?・・天然うなぎじゃんっ!!・・ニャアは穴子は食べるがウナギは食べられない・・でも・・天然ウナギは別や!食いたいっ!!食わしてくれっ!!・・結局は食べられるんじゃんっ!!・・なんて一人でブツクサいうてると・・腹がへった!食わしてくれっ!! |
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10:56 ん?あれなんや〜?・・と聞こうと思ったのに・・
「この辺りが一番水深が・・」とか説明が入ってしまい、聞くタイミングをなくしてしまった・・ |
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その昔・・といっても・・昭和30年代まで・・やったっけ?・・ま・・ええわ・・
朝は、海の方は朝日に暖まるので、山の方が涼しい。風も山から海へと流れる。
だから朝のうちに川を下る。櫓を漕いで流れに任せて下る・・下った船は上流に引き上げねばならない・・どうやって?・・船頭さんが言うてたように、四つん這いになってロープ(縄)で引き上げもしただろう。
が・・昼になると山々が暖まって気温が上がる。すると・・逆に海の方から山の方へ風が吹くんだそうだ。
そこで!ご覧のように一反の布を三つ。三反帆にたてて戻ってくるのだ!
これで戻れたらバンバンザイ!風が少なくて動かなかったら・・四つん這いだ! |
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11:00
少し先へ行くと・・
行くと・・
そう・・右の崖を
回り込んだら・・ |
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な・・なんや?
あれなんや〜!!
行きたいっ!
救命胴衣をつけて渡りたいっ! |
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「みなさんは新宮にお泊まりだったそうですが、その近くに神倉神社がありますが・・(クリックして半ば過ぎたところ)・・行かれましたか?神倉神社は熊野の神が最初に降り立ったとされる神社です。そこでは2月6日(だったっけ?うろ覚え・・)に、火祭りがあります。
熊野の神は老若男女、誰でもお詣りできますが、この火祭りは男だけの祭りです」
・・そうやろ〜そうやろ〜あんな急な階段、危なくて女なら誰も駆け下りたくないやろ〜・・滑落事故が起きそうや・・ |
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「そこから熊野の神は速玉大社へと移されたので、速玉大社のことを「新しい宮」・・新宮と呼ぶようになったのです。 |
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その速玉大社の祭りで、それぞれの集落ごとに船を出し、これから見えてきます「御船島」を一周するという行事があります。これは神が下りてこられた様子を・・(忘れた)・・それが今は、どの集落が一番早いかを競うようになりました。10月半ばにありますから、今は集落ごとの練習で大変な時期です。なにしろ村を代表するわけですから大変です・・あ!ほらっ!練習してますっ!」 |
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頑張れよ〜〜!! |
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11:04 島の周りを回ってる〜〜!ここでは完全に一周回ってくれた! |
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さてさて・・もうそこがゴール・・速玉大社だ。広い河原が見える・・
「え〜その河原には沢山の店が出ていました。船で詣でる人々・・また、運んできた荷物をおろし、足りない物、商売の品などえを積み込んで帰って行きます。それに便利なように瓦に店ができたんでしょう。でも、この川は何度も言いますように、よく氾濫します。そこで・・クギを使わず組み立てて、氾濫しそうになれば、すぐに撤収し、おさまればまた店を出す・・といった風でした。
今でも速玉大社の前で、その時のような店が残っています。是非、見ていって下さい。 |
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これだ!! |
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11:14 下船!・・あっという間の一時間半!よかったなあ!近くに来たらまた乗りたいっ!!
このあと船はエンジンをふかしながら一目散に川上へ。そして本日、午後からの便に備えるそうだ。
我々は、河原を少し歩いて速玉神社の方へ!10分とかからない。 |
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11:26 神社の前にある「なぎ」の大樹。800年とか船頭さんはいうてた〜ニャアと同じやな〜
この「なぎ」は葉が裂けにくいので、夫婦円満などに縁起が良い。
また、枝を軒先にさしてあると「熊野へ御参拝の方をおとめします」という印なんだそうだ。 |
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熊野へ詣でた
上皇達の回数
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境内の見事な樹
「お木に入り」
本名「オガタマノキ」
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古くから神木として境内に植えられた。
「オガタマノキ」という名の由来は、
この木を神殿に植えて神の霊を招く習わし
「招霊(おぎたま)」からきている。
木の葉を食草として育つ、
南方系の「ミカドアゲハ」の飛来も見られる |
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さてさて・・バスは一路・・わたらせ温泉へ!・・すると・・進行方向右手に!!
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船の上で見た写真と同じだあ!三反の帆!!・・三反もめん?・・サンダン?・・
感動だなあ!最高の土産ができた!!
このあと「わたらせ温泉」で一時間10分。
大好きな「じゃばら」・・瓶の方は皮入で少し苦い。缶の方が一般的。 |
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途中、渋滞に巻き込まれたが、思ったより早く梅田に着いた。
大満足の二日間だった!! |
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