中辺路・紀路(全13回第9回)
芳養(はや)王子跡・出立(でだち)王子跡と闘鶏神社
2006.01.07.土 | 今年になって最初のお出かけなのだが少しダルイ・・ もうすでに、コタツで丸くなる生活に戻りきってしまったようで、どっこにも行きたくない。 言い換えれば・・よかった〜!ツアーに申し込んでおいて。 でないと、このまま引きこもりだあ〜。 |
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今日は梅田7:15集合。 思いの外、早く着いた。ふと辺りを見回すと集合場所の向こう隣にローソンが見える。何気なく行ってみると、道路を挟んで向こう側にMBSの建物が。 ・・・え〜?こんな所にあるの〜?今まで全く知らなかったよ〜。 ローソンでおにぎりの「ハラミ」を買う。これ、どわあ〜い好き! ツアーは弁当付きだが帰りに食べようっと! 紀ノ川SA9:05出発。三宮出発と変わらないなあ。 |
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今日は「中辺路」ではなくて「口熊野」だ。 昨年の大河ドラマで弁慶が熊野水軍に加勢してくれるように頼みに行った時、闘鶏をしたシーンがあったが、その「闘鶏神社」があるのだ。 そして紀路から中辺路へのコースと、大辺路へのコースの分岐点があるという。 更に!ここ田辺の宿場町では「代参屋」なる仕事が、江戸時代に大はやりしたという、実に面白みのある所らしい。 |
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「代参屋」登場! | 江戸時代になると、戦もなく平穏であったが、旅行はできなかった。 唯一認められたのが「熊野詣」や「お伊勢詣り」だ。 これなら比較的楽に通行手形がもらえる。 「講」というものもでき、みんなでお金を貯めて代表に詣ってもらうようにもなった。 これは行く人は、かなり得なようで・・・ 頼む側は少しでもご利益を多くもらいたいので「御餞別」をはずもうとする・・ (^。^)もらっちゃったあ〜!・・というワケだ。 ・・・懐も暖かく田辺の宿までやってくる・・・賑やかな宿場だ・・・ ここから中辺路へ歩を進めれば山の中をてくてく・・・ 海沿いの大辺路から行くにも大変だ・・・やだなあ・・・ ・・・でも御札をもらってこないと帰れないなあ・・・ と!ここで「代参屋」が登場! 金さえ払えば代わりに詣でて御札をもらって来てくれるのだ! それまで、ここで待っていればいいのじゃ〜!わあ〜い!わあ〜い!(^。^) こうして宿場は、ますます栄える・・・ 参拝客はワンサカ増える・・・という寸法である。 |
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途中で「とれとれ市場」での昼食タイム〜。何と1時間半!。 まあ、これがツアーの安さの秘密なんだから仕方がない。 12:26 スタート地点到着!今日は市街地だけなので、ちょっと不満。 |
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12:28 芳養(はや)大神社:芳養王子跡が、この鳥居をくぐった所にある。 確か藤白神社でも同じだったような気がする。 山門があって、そこに鈴があるのだ。 それから本殿があるので、本殿の前には鈴はない。 |
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芳養(はや)王子跡の立て札 藤原定家の「熊野御幸記」より120〜30年前の藤原むねただの「中右記」にも出てくる。そこには「早王子」とあるので、途中で芳養と変わったようだ。 残念なのは「中右記」は途中からなくなっているのだ。 |
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このあたりの家々には、まだ注連縄がかかっている。 でも、ちょっと変わっている。 田舎の岡山も大阪も、縄を横に伸ばしたままだが、ここら辺はご覧の通り持ち上げている。私が写真を撮っているので皆、何事かと目を移して「わ!変わってる!」と声をあげていた。 あと、軒先に秋刀魚が干してあった。なんだか「のれん」のようで楽しかった。 |
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12:45 一里塚地蔵尊。 第六回の時、紀州の初代の殿様が整備したとか聞いたと思うが・・ |
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12:51 牛の鼻のバス停前 |
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この辺りで空が面白かった 雲の切れ間から 隠れていた太陽が顔を出すシーン 見慣れていると思うのに感動! |
12:55 八幡神社例大祭潮垢離(しおごり)所 バス停は「中浜」 また、ここより「ちょっと寄り道」で海岸沿いに道をとる ここから海沿いに行く入り口には体育館がある。 |
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かんぽの宿もあった。温泉。 宮島を思い出すなあ〜! |
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和歌山:観音崎の アルバムです。 スライドでご覧下さい 干潮だったため 遠くまで歩いて行けそう。 釣り人が大勢出ていた。 こんな素晴らしい景色を 眺めながらの釣りは最高だろうな! |
13:20 濃紺の海と空!ひょいと覗けば底まで見える! 底に敷き詰められた岩々の肌までがハッキリと見える。 みんなで騒いでいると 「何珍しがってんのよ。こんなの当たり前でしょ」 とでも言いたげに、チラリと一瞥をくれて再び眠りにつく。 お日様は、時折雲に隠れて勿体ぶるけれど、 雲間から再び顔を覗かせる瞬間は、言葉に出来ないくらいの神々しさだ。 そして、その瞬間の海面の美しさも形容しがたい! ダイヤモンドの輝きなど、この海のキラメキの前ではガラス玉でしかない。 いや・・波に洗われ研磨されたガラス玉の方が何倍も美しい! 風は強いが暖かい。 「昨日の気温は14.5度でした」という看板が目に入る。 家を出るときの気温が−1度だったんだよ〜和歌山は暖かいんだなあ! |
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13:30 観音崎の先端にはトイレも完備されているし、近くには堤防から下に降りることもできるようになっている。 トイレ休憩と合わせて10分ほどの(少なっ!)自由時間となった。 もちろん私はニタニタ笑いながら、あ!っという間に海岸へ。 今日もお決まりの・・ホカホカカイロ2枚貼り(下腹と背中)で暑くて暑くて! 写真を撮り回っていたら、大峯山の前鬼の里ツアーでご一緒させて頂いた方が声を掛けて下さった。実は昼食時に何となく「そうかなあ〜?」と思っていたのだが、毛糸の帽子を被るとイメージが違っていて、多少不安だったのだ。 でも歩く様子を見ると「絶対にそうだ!」と確信できたので、時間ができたら声をかけようと思っていた。 そこへ、この海だ!興奮してはしゃぎ回っているうちにコロリと忘れて・・・ 逆に先に声をかけていただく事に〜。
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14:09 1201年、旧暦10月12日、藤原定家が後鳥羽上皇について熊野詣をした時の日記「熊野御幸記」で、ここで「潮垢離」をした記録が残っている。 ここから田辺の宿に入り、山の中の中辺路を行くため、身を清めていたそうだ。 第四回の岩田川の水垢離場と同じで重要な行場であったらしい。 今は公園の一角に、ひっそりとたたずむだけなのだが・・・ この辺りは当時は浜であったのだが埋め立てが行われ、今では随分中に入っている。さっきの観音崎も埋め立てられてしまう予定だったそうだが、反対運動で中止になったらしい。 ここで「潮垢離」をしたあと、宿に入るが、上皇のお泊まりになる宿は、かなり立派であったが、自分達の宿は、かなり古くて・・・ 「ええなあ〜上皇は〜昨日もエエとこに泊まりやがったし〜わしは何や〜!」 と文句を言ったとかいないとか書かれてあるらしい。 そのあと、また「潮垢離」をせえと言われ「またかいなあ〜!」と思いつつ行ったと記されてある。 しかし、定家はこの熊野詣のあと、なんだかの(そのうち思い出したら書きます)歌集の編集を任されたのだから有り難がらないとアカンわなあ〜。 |
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一人で来ると とても分からないだろうと 思えるくらいの場所にある |
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14:26 「会津橋」と書かれた旧・橋を渡る。右手には新しい広い道路がはしっている。 |
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14:40 道分け石 左の写真が見えた時は嬉しかったなあ! このように、ここは三叉路で、真っ直ぐ行くと海沿いに行く大辺路へと続き、左へ曲がると中辺路へと続いている。 ちなみに、角度を変えて見ると右の写真。 道標では熊野詣からの帰路の場合は「紀三井寺」と書かれている。 なお!ここは結構メイン道路で交通量が多い。 写真を撮っていて車に轢かれないように! 下の写真は中辺路へと続く町並み |
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14:45 蟻通神社 知恵の神様 昔、中国からの使者がやってきて「巻き貝の穴に糸を通してみせよ」と無理難題を言った。 すると蟻に糸を巻き付けて・・・以来「蟻通神社」 また境内には大きな木があり、大火の折、水が噴き出して沈火させたとの言い伝えがある。 |
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更に神社の入り口には、このような石柱があり、明治の大洪水では、この線まで水がきたという。 後ろのバス停を比べると高さが分かると思う。 ちなみに158cmの私が立ってみたが、見上げないとダメだ。 |
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