中辺路(全13回第2回)2005.06.18.土
とがの木茶屋〜継桜王子〜比曽原王子〜近露王子〜箸折峠
天気が危ぶまれたが晴れ!
予報でも「晴れ」オンリーだったので安心して出かけたが、さすが深い山沿い、曇り空となってしまった。
でも、お天気の神様に感謝!何せ今は梅雨だからなあ・・・この調子で月曜も晴れて下さいね〜!と調子よくお願いする。
月曜は奈良県天川村の観音峰〜法力峠〜洞川温泉のフリーハイクがあるのだ。
今回も三宮7:30集合。家を5:40に出る。
方向音痴の私は、また三宮で「ダイエーどっち?」と目標の建物を聞く。エエ加減に覚えんとなあ・・・
バスは、ほとんど満席。でも前回2台で行ったよなあ・・・確か・・・
京都からも1台出ているそうだ。前回と同じく「紀ノ川サービスエリア」で合流。今後もこのパターンになるそうだ。
・・・・・しぃ〜まったあ!・・・・・寝ちゃった!・・・・・
講師の澤熊さんの話を聞きたいから参加しているようなものなのに・・・コロっと・・・グッスリ・・・寝ちゃったあああああ!
う〜ん・・・昨日も一昨日も昼寝してないからなあ・・・はああああ・・・・・
紀ノ川到着・・・ここで澤熊さんは京都からのバスに移るので・・・・・
まあ、しゃ〜ないわ!こうなったら目的地まで寝たろ!
11:30 ここから10分ほどでスタート地点。 ここから登って行くのが正しいんだろうけど、 登り坂が多くなるので逆に歩くそうだ。 ここで昼のお弁当タ〜イム! |
道路向かいが古道。 ここから降りてくるようだ。 明光バス・熊野交通・ 龍神バス「牛馬童子口」 |
11:57 さてさて・・・目的地です〜! 見晴らしが素晴らしくいいです! |
こんな具合です!この日はずっとこういう景色に見守られてのハイクです。
もう興奮して走り回っていたら最後になってた。 添乗員さんは優しいので 「いいですよいいですよ。たくさん撮って下さい」 |
12:00 まもなく有名な「野中の清水」に |
かなりの水量がある。 柔らかい水で美味しい! 空のペットボトルが欲しい・・ |
こうしてみると澱んでいるように見えるが 実際は上の写真のようにかなりの勢いで流れている。 |
下が汲む所。 コップも、ぶら下がっている |
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道は標識が完備されているので迷うことはまずない。 うっかり別の道に行けば 「ここは熊野古道ではありません」という標識まである。 |
12:08 いきなり! かなり雰囲気のある茶屋が現れる。 「とがの木茶屋」 今でも営業中 |
横から見たところ。 |
継桜王子跡 |
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ここの木々の枝はみんな南を向いて伸びている。
裏は深い山、南は写真のように見晴らしが良く遮るものもないからだろう。
これらの杉には「一方杉」という名が付いている。
かなりの年数が経った大木が何本もあって凄い迫力だ。 | ||
中辺路には、このような番号が 500mおきにある。 |
説明も聞きたいが ゆっくり写真も撮りたい。 前に行ったり後ろになったり・・・ |
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比曽原王子跡 12:35 |
景色に見とれて歩いていると 例の「古道ではありません・・・」に。 よく見ると道路の色が変わっている。 |
今度は山道だ。 このコースは色々道も 景色も変わるので面白い |
見晴らしのいい坂をのんびり下る |
いいでしょ〜! 風情があるでしょ〜! |
多くの家の前に、ひっそり立ててある 昔はさぞかし人通りが多かったのだろう。 |
ヤツデは懐かしい。 田舎では家に必ず植えてあった |
13:17 近露王子跡 |
この近露王子跡のスグ側に川がある。 後鳥羽上皇4回目の参拝の時(藤原定家も同行) ここで禊ぎをして(死体か何かに出くわしたと思われる) 午後の8時から近露王子跡で歌会。 午後10時に出発!6〜7時間かけて次の宿場まで行った |
トイレ休憩も終わり、13:34出発 今から「箸折峠」へ登ります。 |
上の方の人が見えるかなあ? | |
澤熊さんがいつも言う言葉 「なあ〜に。峠は山を越えるだけの事だから 山の一番低い場所だから何て事ないない!大丈夫」 いつもこんな調子で・・・稲村ケ岳の時も 「なあ〜に。最後にチョコット3mだけ急な場所があるだけ。 手をついてけば、どうって事ないない」 説得力あって、ホントに何でもないない気分にさせられる。 |
箸折峠での景色 13:45
箸折峠の牛馬童子 (はしおれとうげのぎゅうばどうし) |
ここに立てられている説明文から |
更に進めばバス停の表示が |
13:55 |
箸折峠のこの辺りは花山法皇が御経を埋めた所と伝えられ、 また食事の際、カヤの軸を折って箸にしたので、ここが箸折峠、 カヤの軸の赤い部分に露が伝うのを見て 「これは血か露か」と尋ねられたので、 この土地が近露という地名になったという。 ここの宝きょう印塔は鎌倉時代のものと推定され、 県指定の文化財である。 石仏(左)の牛馬童子は、 花山法皇の旅姿だというような事も言われ、 そも珍しい形と可憐な顔立ちで近年有名になった。 そばの石仏は役の行者である ・・・という事であるが、 牛馬童子は何と!明治23年だか何年だかに作られたものらしい。 |
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この像・・この後、壊されてしまった 首が飛んでしまった 今あるのは新しいもの。 | ||
あ〜!今日も楽しい1日だった〜!ありがと〜!