熊野古道:紀伊路・中辺路(全13回第6回)
糸我峠・王子〜逆川王子〜方津戸峠
 05.10.08.土

今日の行程地図 聞き覚えて書いているので間違いだらけかも?
責任は持てません〜!(自慢?)
生憎の雨予報・・・ここ一週間の流れからいって間違いなく雨だろう・・・
・・・まあ、雷さえ鳴らなきゃあ良しとするか・・・
今回は確か近くで平坦だったはずだから大丈夫だろう。
と思いながら、いつもの通り5:40に家を出る。

毎回休憩に立ち寄る紀ノ川SAには8:55着。いつも通りだが・・・雨がパラついてる。
9:34
いよいよ雨・・・バスの車窓からの景色でも山が勢いよく霧を吹き上げている。覚悟せねば・・・

今日は近場で距離もないのでお寺や神社の見学も入っている。
前回の道成寺の法話が良かったので今回も期待するが、住職が忙しいらしく無理のよう。
9:45


写真では分からないが
裏山がそびえている
この山の向こうは
海なんだそうだ。











紀州徳川家の墓
でも女性だけ何人か



見所いっぱいの
境内でした。






紀州由良:開山興国寺〜醤油発祥の寺

法燈国師(ほっとうこくし)というお坊さんが中国(当時は宋)に留学していた時、
径山寺(きんざんじ)で味噌の作り方を学び、日本に持ち帰った。

のち、この開山興国寺の住職となった。
この味噌は「食べる」味噌:非常食・旅行中の食料として重宝された。
これが金山寺味噌の原型。

その味噌は時間が経つと上の方に汁がたまる・・・なめてみた・・・ん!・・・ひらめいたぞ!・・・
味付けに使ってみると、これが旨い!・・・醤油ができました!
味噌は中国発祥でも、醤油は日本が発祥なんです!・・・という事らしい。

また、この頃の寺の修行のひとつに尺八をふくというのがあった。

虚無僧が尺八をふきながら、非常食の味噌を持って全国を歩き・・・広まったのかな?
なんしかここは金山寺味噌・醤油・尺八・虚無僧で有名なんだそうだ。

また、ここ由良は後鳥羽上皇の奥様の荘園だった事から、熊野詣の折にも立ち寄られて
いたといわれ、この右手の方にある、こんもりとした山が後鳥羽上皇の御陵となっている

無案内の者
入るべからず


見るなと言われれば
見たくなるのが・・・
格子の隙間から・・
この寺は何度も
火災に遭いその
都度あっ!という
間に再建された
ので天狗が建て
たと言われている
これは天狗堂
天狗命根石
創成期の頃地核の
噴出にる火山岩から
でき、世界最大の
大きさを誇る。
中には数億年も前の
水が潜っている。
この石をなでながら
天狗様に願い事を
すれば必ず叶うと
言われている
庭園が美しく
澤熊講師が
入らせてくれと
頼んだそうだが
「荒れるから」と
断られたそうだ。
11:13
JR紀伊宮原駅
開山興国寺を10:40に出発。

11:13
JR紀伊宮原駅に到着。ここから歩く事になる。
・・・小雨が降っている。どう考えても今日は一日雨だろう。もうすでに合羽を着ている人も。
どうしよ〜?暑いしなあ〜。
11:24
宮原渡し場

暴れ川(あれかわ)→足代川(あてかわ)→安諦川(あでかわ)→在田川(ありだかわ)→有田川
と言われた有田川が増水したとき川止めの札が立てられた。
藤原宗忠が「中右記」(位が納言・役職が大臣)で「有田川借橋」と記しているので
恐らく簡単な渡れるだけの橋がかかっていたものと思われる。
11:40
得生寺

雲雀山:得生寺(とくしょうじ)中将姫の寺として有名

ん?中将姫・・・?二上山に行った時に・・・あ〜ん!ピンボケだった所じゃん〜!

ここで御弁当タイム。雨は一層強くなるので、境内で合羽の下だけはいた。
大正解!途中で脱ごうかと思うほどだったが、後の糸我峠で突然土砂降りになり、
着いていない人は、あっという間にびしょぬれになった。

私はバスの中ですませていたので、一人ウロウロ歩き回って楽しんだ。
11:51
糸我の一里塚
得生寺の側にある一里塚。(和歌山城下から五里)
和歌山藩主初代が熊野古道を整備し、一里ごとに街道の両脇に土を盛って植えた。
今ではほとんど残っていない。道路拡張の為などが主な理由。
ここも、左の写真の一本しかないし、これも樹齢350年の黒松が枯れてしまい、これは三代目。

その初代藩主が王子跡なども整備したため、今でもほぼ正確に残っているワケだ。

もっと高く土が盛られているのかと思ったが、案外低い。
よく知っている人と一緒でなければ分からないだろう。
12:02
糸我稲荷
住職が仰るには日本最初の稲荷神社。「伏見のお稲荷さんより60年も早い」との事。
この正面の鳥居には「本朝最初 稲荷大神社」と書かれている。
ここより糸我峠などを通って行くので災難除けのお祓いをしてから旅立ったそうだ。
話し好きの住職さん、頼めば必ずや詳しい説明をして下さるでしょう!
輿を置いたとか何とか・・・
熊野古道資料館


神社の隣に出来ている熊野古道資料館・・・オススメ!
中には熊野参拝の行程をマンガ風にしてある、でっかい絵巻物が展示されてある。
売っていれば買いたいほど!何人も同じ事を言って係の人を困らせた。
大阪人らしく「千円やったら絶対売れる」とか「い〜や。二千円でもええ」とか
「モノ次第では値段は分からん」などと、ある程度本気で言ってる。

矢印が有田市付近  この拡大!ワイド版があります〜見て〜!
13:02
糸我王子


さて〜12:50くらいかな?出発は。忘れちゃった〜。
ま、いっか・・・
少し行くと左写真のように「糸我王子」があるが、本来は少し上にあった。でも都合上、ここに移動。

13:06ここが本来の糸我王子跡。


この辺りでの「熊野御幸記:藤原定家」によれば・・・
定家は、この糸我王子への参拝に寝坊(どっかでも寝坊してたなあ)したらしい。
急いで糸我王子へ行ってみると、もうお経の供養などが始まっており、すごい人だったので・・・
先に行ったそうだ。
ところが・・・「道さいかい(メッチャ険しい)あやうく、恐れあり・・・」・・・シンドイよォ〜!

更に、急に潮垢離(海で清める)が入った(恐らく死体か何かに出くわした)

定家は一度、潮垢離を面倒がり、桶に海水を入れて持ってこさせて清めた。
・・・が、やっぱり気になって(神から怒られる?)海へ行ったそうだ。
13:15
糸我峠


もう・・・この頃は・・・土砂降り!しかも一気に!せめて合羽のしただけでも着ててよかった〜!
ズボンが濡れて靴にも水が入って・・・という方が多い。
・・・ん?・・・雨垢離?・・・ハハハ!

リュックはずぶ濡れになったが、これはまあ〜しゃ〜ないし〜濡れてもエエもんしか入ってないし〜

峠まで案外近い。もう峠だ。
13:51
逆川王子

















ここは、ほぼ完全に残っている。立派な跡だ。

平家物語の中に・・・
「いもが子ははふほどにこそなりにけれ(平忠盛) ただもりとりてやしなひにせよ」
平忠盛とは清盛の父。妻(清盛の母)は後白河上皇のお妾さんだった。
だ〜か〜ら〜清盛はもしかすると後白河上皇の子どもかも〜?
という、面白〜い話がでた・・・(^。^)
13:57
逆川王子の名前の由来となった川。
水が矢印のように、一見、山に向かって流れており、普通山から流れてくるのに逆に流れているという事で「逆川」

これは右の方から急カーブで流れてきており、見ると川が蛇行している。
そのため逆に流れているような(水が登っているような)錯覚におちいるようだ。
14:02
弘法の井戸
14:05:方寸峠(方津峠:ほうづとうげ)のお地蔵様
14:27
湯浅の町並み

ここで、みかんを頂き
醤油の歴史などを
教えてもらった。
面白いので是非!
聞いてみてほしい。
かどちょう
角屋の長兵衛さん
だったかな・・?
半役
一人前の仕事は
できないが
半人前の仕事を
するところより
名がつけられた
金山寺味噌の店
すばらしい雰囲気
120・・140・・・?年前の醤油年別の売上帳

帳簿の分厚い年は良く売れたってことなんだってさ〜!

というところで今日の熊野古道は終了〜!

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