中辺路(全13回第7回)2006.11.26.日

拝ノ峠・蕪(かぶら)坂&長保寺(紀州徳川家菩提寺)

昨夜の天気予報・・和歌山・海南地方・降水確率100%・・と・・はぁぁぁ?何ですか?これは?・・100ですとな?・・またですか・・実は今回の拝ノ峠コースは、当然、昨年も申し込んでいたのだが、雨予報でキャンセルしたコースなのだ。今年も雨とな・・もうこれは絶対に雨で歩かないとアカンらしい。・・救いは・・まだ雷予報が出ていない事。
もりりんのおかげで (出会いの日記) 随分カッパにも慣れた事だし頑張ろうか。何しろ今回で、このシリーズは完歩となる・・ということは〜!・・巻物がもらえるのだあぁぁぁっ!雷予報さえ出なければ頑張ってみようっと!

・・当日・・26日・・朝4:40起床・・
天気予報を見ながら・・ため息・・「ところにより雷があるでしょう」・・もうキャンセルしようかなあ〜?〜そうや〜雨が降ってる日まで歩かんでもエエやんか〜・・もう一年待てばエエねん〜
一応支度はしているものの出発時間が近づくと、ますます嫌になってくる。すると・・・
5:40 牛さん起床!
「駅まで送ってったるわ〜」・・・わ!雨が降る!?・・やっぱり雨や〜・・
その言葉に背中を押されるように出発!これはもうご先祖様が「行け」っちゅうとんねんなあ〜。
・・風呂の用意をしている・・近くのスーパー銭湯が日曜は朝7時から営業なのだ・・


今日は三宮まで行かねばならない。昨日の出発なら梅田発だったのだが、一日延ばした。
昨日、能勢・阪急電車のフリーハイク「剣尾山」があったので、それに行きたいために延ばしたのだ。
今にも降りそうな空模様の中、集合場所には大勢の人が!行き先はアチコチだが、どう見ても登山やハイクの格好の人も多い。物好きだなあ!・・自分の物好きは置いといて、他人に突っ込んでいる。
バスは空いていた!1人キャンセルで17人だ。座席も2人分使える。わあ〜い!嬉しいな!

・・・!・・・出発前、バスの窓に雨粒が・・・もりりん&ぐっちぃ&うずみん&ツレさんの六甲・地獄谷会議は中止になったとのメールが入る・・・牛さんが駅まで送ってくれる車の中で「雨が降ってこそ地獄じゃあないんか〜?」などと突っ込んでいたが・・そうか・・やっぱり・・もりりんのワクワク興奮が雨を呼んだのか・・





9:40 長保寺(ちょうほうじ)・・・雨、やんでる〜〜!

長保2年(西暦1000年)に一条天皇の勅願によって創建され、鎌倉時代に現在の伽藍の姿が整った。
後ろは険しい山。自然の要塞でもあり、熊野詣の参道(熊野古道)の側でもある事から、紀州初代藩主・頼宣(よりのぶ)により、1666年、紀州・徳川家の菩提寺となった。
「周囲が山に囲まれ、要害堅固である」との頼宣の言葉が残されており、万が一の時の陣地として利用する事も考えられていた。・・というより、常に敵に備える気持ちを家臣に伝える意味もあった。これは墓石に名前を彫らなかった事と同様である。(紀州・徳川家の墓石には名前が一切彫られていない)

★う・ん・ち・く★
一条天皇には皇后が二人いた。普通は一人で、あとは側室となるが、珍しく皇后が二人。
定子(ていし)皇后と彰子(しょうし)皇后で、この二人のお付きの女官の方が有名。

定子皇后のお付きの女官が清少納言・・・枕草子
彰子皇后のお付きの女官が紫式部・・・源氏物語

これらの文学作品は一条天皇の宮廷生活を題材としていたのである。
まさに平安時代真っ盛り!

この寺には三つの建造物が国宝になっている。建造物で三つも国宝となっているのは、この長保寺と奈良の法隆寺のみだそうだ。
なお、この長保寺の境内は約15000坪で、全域が国史跡に指定され、森は和歌山県の天然記念物となっているのである。
山門 本堂
  


住職さんが寺の縁起など色々と話をして下さった。

紀州・徳川家は家康の第10子・頼宣が初代藩主。家康が手をかけて育てた唯一の子。戦に明け暮れる事がなくなってからの子なので手塩にかけて育てた。今でも熊野古道が保存できたのは頼宣が藩主となってから、検地をし、その時、熊野古道の後に石碑や一里塚を建てていったおかげである。

二代藩主が光貞(みつさだ)公。八大将軍・吉宗の父である。

1705年、父・光貞に続き、二人の兄も死去したため紀州・徳川家の第5代藩主となる。

1713年、第八代将軍となる。
吉宗は紀州藩主であった間に、父・二人の兄の法要を、ここ長保寺にて行っている。

長保寺の御本尊は寄せ木造りで、つなぎは漆を使っている。この漆は300年もち、言い換えれば300年ごとの塗り直しが必要なのである。吉宗は、この塗り直しの時に紀州藩主となったため、それも手がけている。
更に300年の時が経ち、次の塗り直しが・・「私です」・・
「修復のためにあけてみると吉宗公が直したと記載されているものが出てきたので、間違いなく私は吉宗公の次に・・」・・・そりゃあ〜感動だなあ〜!すごぉ〜い!

紀州藩主は、8代将軍・吉宗と14代将軍・家茂(いえもち)の二人を除いて全て、この長保寺にある。二人は将軍となったため、上野の寛永寺に。

ある場所で、住職は立ち止まり、
「落ちている木の枝を拾ってみて下さい。どれも切り口が斜めになっているはずです。これは、むささびの仕業です。ど〜も、お木に入りのようで、ここだけ、このように・・」

主な墓所を案内して下さり、名前の刻まれていない墓石など拝見した。
奥方様方の墓所が一段低い所にあるが、それは宮家から輿入れの奥方のみであるそうな。







最後に位牌が納められている建物を見学させて頂いた・・御霊屋(おたまや)

位牌の部屋は写真には撮っていないが・・これは吉宗が将軍となって10年目に祖父(初代藩主・頼宣)の供養のために、しつらえて贈った香炉である。
吉宗は、藩主となった時の紀州藩も、将軍になった時の幕府も大赤字を抱えていたため、質素倹約を旨とし、他に何も贈ったりはしなかったが、将軍就任10年目で幕府の台所が黒字となり、その報告がてら尊敬する祖父に贈ったのではないかと思われる。

後ろの絵は山門に掲げられていたもの。これはなので頼宣が複製を作らせて、本物を保管してあったため、このように美しいまま残っている・・え?何だって?キチンと書けって?・・そりゃあ〜書きたいよ!でもさ、何て言ってたか忘れちゃったんだもん!察してくれよな〜・・ま・・興味があったら来年の今頃実施されるクラブツーリズムの澤熊講師ツアーに参加すれば聞けると思うよ〜・・
昨日は天気が良かったので、この芝生でお弁当だったそうだが、今日は雨で濡れているため、バスの中での昼食となる。

今日は、広場の向こうに遠く見えている山を・・歩くのじゃぁ〜!



11:20 出発。
11:34 スタート地点に到着!
ここは第一回目の時に降り立った所だ
少し歩いた所にある福勝寺は昨年は解体工事中。今は解体工事は終わって建て替えらしい・・という事は・・行っても何にもなぁ〜い!・・という事で行かない。
私は偶然にも2004年10月24日にJRの「ふれあいハイク・下津」で訪れているので余裕!
浦見の滝・天狗の手形など良かったのに皆さん可愛そう〜!〜(^▽^)〜何で笑うかな〜?
(天狗の手形や重要な物は今、さっきの長保寺に一切があって見学したのだが、実際にその場にあるのとは迫力が違うって〜見栄えが違うんだなあ!)〜(^▽^)〜何で笑うかな?
11:40 出発するニャ〜!

さあ〜!今から向こうに見えている山の峠まで歩きますよ〜!
拝ノ峠(はいのとうげ)が待ってますよ〜!
今日のコースを藤原定家は旧暦の10月9日・・ちょうど今時分!歩いているのだ!
ただ・・朝早くから歩くため、藤代王子から湯浅まで歩いている。我々が3回に分けて歩くコースを一日で歩いているのだ!

藤代王子では寝坊をして・・すでにお経の供養やら白拍子の舞などあり、地元の見物人が大勢詰めかけていて上皇に会えないので「逐電す」・・先に行ったそうだ・・
「道崔嵬(さいかい・・鬼の出そうな所)、あやうく、恐れあり」

今日、我々が歩くコースは王子の名前しか書かれていない。
11:43 
阿弥陀寺・・橘本王子跡


写真のように雨・・でも小雨
皆んな一応、雨に備えてカッパを着ている。
今日は一日アスファルトなので
傘で十分なのだが、本降りに備えてる。
私もカッパを着込んで、急な坂のため
ダブルストックと、バトル準備だ。



11:55 橘本神社

ここには蜜柑(橘・たちばな)の原木がある。
「たじまもり」という人が命により
中国から持ち帰ったので「たじまもり」という品種名。
昭和17年、
国民学校の教科書にも取り上げられ、歌まである。

当時は甘い物といえば果物。
これが菓子に通じ・・原木のあるこの神社は
「お菓子の神様」と言われ、
今でも4月3日に全国の菓子メーカーの社長が
祭りに詣でる。

原木と
「所坂王子跡」
の標識

教科書に載った
歌の歌碑

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歌詞が大きく
表示されます


12:18 山路神社
これが王子の原型といわれている
恐らく、王子はこのような造り
だったものと思われる

この神社は赤ちゃんの
「泣き相撲」で有名。

泣き相撲の
土俵

「一壺王子跡」
今は「一坪」という
地名で残っている
さて・・ここから急登となる・・相変わらず雨は・・ほとんど降っていない!・・
暑い!カッパの中は大洪水!汗の方が雨の何倍も流れてる!帽子(防水の)を脱ぐ!
12:53 
ここでちょっと、ひと休み・・沓掛という地名は全国あちこちに残っているそうだ。

平安の昔は貴族は皆、木靴(沓)。坂になったら、わらじに履き替え、置いておく。
そういう事から生まれた地名なので結構あるそうだ。

ここで、みんな一枚も二枚もヌギヌギ・・半袖のTシャツになった人も。私も中の一枚を脱いで少し涼しくなる。ああ・・ストックを置いてくれば良かった・・カッパを脱ごうかとも思うが・・
13:00 さて・・ここからが更に急に・・心臓破りだ。
和歌山の龍門山も・・そうだった。みかん山っていうのはメチャ急!
ひたすらアスファルトの・・登っていても滑り落ちそうな・・急な坂をほとんど直登していく。よくも車が転がり落ちないもんだ。
13:14 ココは蕪坂(かぶらさか)の標識

峠」という名が使われるようになったのは
江戸時代からだそうだ。それまでは全部・・「坂」と呼ばれていた。


13:23 見晴らしの良い場所に!ここからの景色は江戸時代から変わっていない!
澤熊講師が用意してくれた「蕪坂峠眺望の図」と見比べる。家が増えただけで、ほとんど同じだ!天気が良ければ海は無論のこと、島々が見える。昨日はハッキリ見えたそうだ・・
  


さっきの長保寺の山門が見える!・・という事は・・
向こうから、ここが見えていたのね〜!
13:37 蕪坂王子の所にあるトイレ
今日のゴール地点にはトイレがない。高速に乗って「紀ノ川SA」までないので、全員行くように指示が出る。誰かが、うっかり非常用のボタンを押してしまい、サイレンが鳴り響く!

・・そのまま奥へと進めば「岩室城址へ ハイキングコース」とある
・・行ってみたぁ〜い!
行きたいっ!行きたいっ!・・岩をよじ登る勇気はないが、探検する勇気はある!
でも〜ツアーだからな〜・・今回の宿題!・・永遠の宿題になりそうである・・
このように至る所に歌碑がある。

万葉集は、天皇が白浜に湯治に行っていたため、旅先で読まれた歌が多く集められている。
飛鳥では海がないので木の国(紀州)への憧れが強かった。
そのため木の国(紀の国)に、ちなんだ和歌が多く残っている。これが今の「和歌山」へとつながっている。
13:51 刀が納められている「太刀(たち)の宮」

・・「え?こんな所に、立ち飲み屋があるんかいな〜!」と・・誰かが間違えたそうだ・・
14:08 ここから、このような標識が増えてくる。

横道が増えてくるので分かるように現されてある。
良く見て間違えないように・・
14:21 
長い下り坂を降りた所、道路左手に広場があり、そこに本日最後の王子・・山口王子がある。
15:00
このあと、宮原渡場址前(先月)を通り、JR宮原駅まで。バスが駐車場で待っているのだ。
駅の待合所でカッパを脱いでバスに乗り込む。
一路、紀ノ川SAを目指す。私はそこのトイレで上を着替えようと準備をしておく。

紀ノ川SAが間近に迫った頃、澤熊講師が「今日で完歩の人〜!」と・・
「はあ〜い!」・・待ってました!・・

すると〜!〜箱の側面には講師のサインが!〜(^▽^)〜わあ〜い!わあ〜い!〜


これで終わりではなく、気に入ったコースとかは、また参加するし、小辺路・伊勢路などなど他のコースのシリーズもあるので、更に頑張って熊野古道を完歩したい!

こうして、また充実した、大満足の一日が終わった!
三宮に近づくにつれ・・雨が激しく・・良かった〜!向こうはたいして降らなくて!

え?巻物の中身を見せろって〜?〜嫌だよ〜!見たかったらツアーに参加・完歩するんだな!
じゃあ〜ね〜紀路・中辺路〜おしまい!




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